吉田先生:そもそも完全な翻訳って不可能なことだけど、意訳が大事で。最近では「意訳」「受容化」とかって言うんだけどね。受容されるために訳すというのが、違うコンテキストの人たち伝える手段なんです。例えば松尾芭蕉とか直訳してもナンセンスじゃないですか。「五月雨をあつめて早し最上川」を直訳したらただの濁った激流ですよ。 ひかる:笑 吉田先生:その句の意味することだったり、五七五の制約とかいろんなコンテクストを受容させるためには結構工夫が必要なんだよね。それがひかる君のやることです。
ひかる:需要化って抽象化の話にも通ずると思うんですけど、先生って岡崎乾二郎ってご存知ですか?”抽象の力”って本を書いてて、彼自身も抽象絵画のアーティストなんですけど。
吉田先生:知らないですね。
ひかる:この本の第1章で、そもそも抽象って何かという紹介をするんですけど、それが面白くて。
吉田先生:うんうん。
ひかる:漱石は『文学論』で、文学がどう成立するのかをこの図を使って説明してまして。
ひかる:上方向が時間で、それぞれのマスは読み手の感覚や感情の断片の広がりを表してるんですけど。この図は物語の意味は全て一番下に収束されるということを言っているのではなく…既存の物語の意味みたいなものを、読み手の経験によって更新されて、新しい意味が作り出されるという関係のように捉えているんですよ。
読み直したら、Fは「物語の意味」というより、経験をまとめている既存の「概念」「イメージ」「認識のまとまり」という説明が正しそうでした。
吉田先生:なるほどね。
ひかる:岡崎はこれを当時のポスト印象派や、その後のキュビズム、抽象芸術の問題と重ねていて、ポイントは漱石がピカソより前の時代の人である点で…
吉田先生:はいはい。
ひかる:『草枕』は1906年で、ピカソの《アヴィニョンの娘たち》より一年前なんです。だから、抽象絵画がまだ成立する以前に、漱石がすでにそれと同型の問題を文学の側から考えていた、というのが岡崎の指摘なんです。まぁタイミングはともかく、この点がポエティックとか受容化の話にリンクするところがある気がしてますね。
吉田先生:うん、すごい面白いね。夏目漱石はさ、その西洋の世界のテキスト論を踏まえているから、そう語れるわけでしょ?
ひかる:そうかもしれないです。
吉田先生:テキストっていう言葉はね、もともとラテン語のtexereが語源で、織物っていう意味なんだよね。テキスタイルとかも言いますよね。テキストってのは織物なんですよ。
ひかる:へー
吉田先生:織物ってのは経糸(たていと)と緯糸(よこいと)があるから折り物が成立するでしょ?いわゆるシンクロニック、共時的なものと通時的なものによってテキストって完成するんです。
ひかる:作者が書いたものが経糸ってことですか?
吉田先生:そう、それに時代時代の緯糸を入れていくわけですよ。この図でいうと100年、50年、10年ということだけどね。この緯糸を入ったときに初めてテキストが生じるわけ。だからやっぱり著者と読者が必要なんだよね。当たり前だけど。
ひかる:なるほど〜〜〜〜〜完全に理解しました。
吉田先生: その緯糸っていうのは、この図にあるように時代時代によって変わっていくわけですよ。作者が言いたいことを言ったからといってテキストが成立するわけじゃないんですよ。読者がいて、「その作者が言いたかったことはこういうことだ」っていうのを受け取ってはじめてテキストが成立するんです。だからテキストの発生は双方向なんです。
ひかる:50年前に生きた人たちの緯糸と今僕たちが入れる緯糸は違っていて当然ですもんね。
吉田先生:はい。かつ、テキストは両方の糸が交わったところで成立するから、どれも正しいんですよ。絶対的な読みっていうのはないわけよね。
ひかる:ということは、後の時代の僕たちが読み取ったときに、元々漱石が言いたかったこと以上のことを理解できる可能性ってあるんですかね。
吉田先生:もちろん。それがテキストの面白いところだよね。
ひかる:時代の洗練を超えた世界文学と呼ばれるような作品って、自己主張みたいなものが確かにないですよね。解釈の余地って言うと軽すぎるけど…抽象化ってそういうことな気がしてきました。
吉田先生:どこで本当に芸術が発生するか、テキストが発生するかっていうと、出会いによって発生するわけだよね。
ひかる:なるほどなるほど…
吉田先生:だからヒカルくんが伝えたいことに対して、ヨーロッパの人たちがどういうふうな緯糸を入れてくるかっていうことも加味して、さらにその先を伝えたほうがいいよね。とんでもない緯糸を入れてくる可能性もあるけど、それはそれで面白いし。
ひかる:そう考えるとこの図って優れてますね。でもなんで先生はこれをそんな明快に説明できるんですか?言語学も抽象のリサーチも学位取れるくらいにはある程度やっているつもりですが、今話した解釈にはなかなか辿り着かなくて…
吉田先生:はいはい。
ひかる:先生はドイツ長かったじゃないですか。この手の話は西洋文化において感覚的に、もしくは言語的に共有された感覚だったり、教えとしては普通なものなんですか?少なくても僕には新鮮な考えで。関連するいい本とかあったら教えて欲しいです。
吉田先生:それはヒカルくんが中、高、大と習った聖書がそういう書物なんですよ。
ひかる:うわーーーー忘れてました笑
吉田先生は神学博士、新約聖書学のエキスパートです。
吉田先生:聖書の解釈は、2000年間ずっとみんなが緯糸を入れ続けてるわけじゃん。 なんていうか、かなりバイアスのかかった僕の授業も、僕の緯糸じゃないですか。
ひかる:笑
オレンジ色のチークの塗り方、大乗仏教、Kendrick Lamar、出羽三山、プーチン、トトロ。みたいなカリキュラムだった。
吉田先生:その、やっぱりヨーロッパの人たちはキリスト教を持ってるから、それぞれの人たちがどういうふうに解釈していったのかっていうことをずっと受け取ってきてるわけだよね。
ひかる:永遠の解釈運動みたいなもんか…
吉田先生:そうそう。ユダヤ教なんかとりわけもっと強いんだけど、いわゆる聖典って呼ばれてるものがある文化にはそういう伝統があるんだよね。
ひかる:結構しっくりきました。今映ってる左側のこの図も、 別な20世紀後半の文学者が「物語って読み手がいると成立しますよ」ってことを言ってるセオリーの例なんですけど、聖書の具体例があるとすごい解像度上がりますね。
吉田先生:70年代以降、テキストは誰のものかっていう議論はずっとあるわけですよ。最近の傾向としては読者の解釈を押し出す流れがあると思います。
ひかる:僕もそう思いますね。それってNarrativeの話と重なりますか?
吉田先生:というと?
ひかる:僕のいるコースの名前がNarrative Environmentsって言うんですけど、Narrativeって普通にここ10年近く流行ってる言葉だと思ってて、キラキラネームだなとか思ってるんですけど笑
吉田先生:笑
ひかる:この言葉の流行はまさにそれを象徴していて、語り手が主体の単語で、テキストをツール化している気がしてるんですよね。Narrativeについて学んでいて、最近すごくそう思うようになりました。
テキスト(思想や哲学と言い換えられる?)を自分の主張の正当化や目的達成のために使える道具としてを扱うことをツール化と呼びました。Twitterの名言/パンチライン、お洒落な哲学レトリックで満ち溢れたnote、哲学的思考法みたいなことを言うビジネス書(もしかしたら昨今の言語化ブームも)のどれもがそれに当てはまると思っています。
the internet projectは、そうではない形で、これを読んでくれる身近な僕の友人たちの考えや行動に小さな変化を与えられることを目指しています。
*咄嗟に発した表現なので、言葉の定義や説明の曖昧さは…自信がないのでご了承ください。
吉田先生:そうですね。
ひかる:実際、これによっていろんな分断が……
吉田先生:だから、テキストの所有に関する議論はもうひとつ揺り戻しがあるんじゃないかなと思ってますね。一つの角度からじゃ全体を見れないっていうのはそういうことなんです。それを感覚的にわかる人も増えてくるでしょう。
ひかる:そうですね。残りの半年は、僕の取り組む学問もそう疑いながらやってみることにします。
(Part 3はまたかなり後ほどUpします) Zoom Call
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